コットン日記

くらしのあーとでは、コットンの栽培を行っています。私たちのコットン栽培の日々を綴っています。

コットンは、私たちに綿(わた)を提供してくれる優しい植物です。そのまま使えば布団などのクッションになり、糸に加工して織りあげれば布になります。暮らしの中でなくてはならないモノで、とてもありがたい素材です。

とても身近な素材であるコットンですが、現在日本ではほとんど生産されていません。在来種である“和綿(わめん)”は経済の効率性から栽培が途絶え、種も絶滅の危機にあります。 

昔は、皆がそれぞれコットンを栽培し、糸を紡いで衣服にしていたようです。コットンを布にするのはたくさんの工程があり、とても大変です。

私たちは、コットンを栽培して布に加工するまでのプロセスを通して「自然」を学ぼうとしています。

そのプロセスは純粋に楽しいものです。人と自然のつながりをよく学び、理解(わか)ること自体を嬉しく思います。

栽培から布にするまでの一連のプロセスを経験して思うことは、「大変だけれど、苦労ではない」ということです。創造性あふれる手仕事であり、布にまで出来たときは感動します。かつての人々も、大変な肉体労働の中でどこかに喜びを感じていたのではないかと想像してしまいます。

私たちは自然の営みを観察するために、極力手をかけずにコットンを育てます。自然にまかせると、そこには豊かな生態系を見ることが出来て楽しいです。

土の中に微生物がいると、それを食べる小さな虫が増えて、すると羽虫が寄ってきてそれを食べ、羽虫が出てくるとクモやトカゲやカエルなども現れます。そのような関係性がぐるぐると続いていく様子が見て取れます。

生態系は常にバランスを取っているのだと思います。よく観察して、その場の環境をその場の生き物たちに任せると、コットンは健全に育ってくれます。

観察をしていると、あらゆる生き物はその場の条件次第で「益虫」にも「害虫」にもなることが理解出来ます。

自然のバランスがどこかで崩れると、ある特定の虫が爆発的に増えることがあります。増えすぎると害虫と呼ばれますが、増えていない場合だと土を耕したり花粉を運んだり、色んな役割を担ってくれる益虫として存在してくれることもあります。このような多様性や循環が面白いと思います。

このように、たくさんの命が関わり合って自然が創られ、その中で植物は育ちます。コットンも同じです。

当たり前ですが、“モノ”はすべて自然からいただく素材から作られています。繊維や土、植物はもちろん、石油や金属も自然界のものです。

自然から切り離されたモノは何一つないと思います。最先端の科学技術を用いて作られた無機質なモノも、どこかで自然とつながっているように思うのです。

「命は大切だ」とか「自然を守ろう」といったスローガンをよく耳にしますが、そのようなキャッチーなスローガンを声高に叫びたいわけではありません。私たち自身毎日たくさんのゴミを出すし、たくさんのエネルギーを使っているし、毎日車に乗ります。

でも、どんなに都市が発展してそこに住んでも、わずかでも地に足をつけた生活を送りたいと願ってしまいます。雄大な大自然でなくても、ベランダや庭、公園や空き地など、身近なところにも自然はあります。壮大なスローガンよりも、自身の生活から見直すことが大切だと思うのです。

本当に大切なことというのは時間をかけて理解し、伝えていくものだと思います。子どもたちに「命は大切」「自然は大切」と言葉で100回伝えるよりも、このような経験を一度体験することに価値があるような気がします。

ふわふわに実ったコットンは、とても柔らかくて触ると気持ちが良いです。包み込まれるような優しさは、なかなか言葉で表現できません。

これを天日干しして、種を取って、打って柔らかくして、糸に紡いで、茹でて、糊付けして、織り機にかけて、そうしてようやく布になります。

出来た布は育てた環境や加工した人の個性がそのまま反映されます。紛れもなく、世界に一つだけの布です。

手つむぎで織り上げた糸は、太さにムラがありプクプクとした模様が浮かび上がります。私たちはこのムラやゆらぎがとても好きだし、モノの個性として大切にしています。

これは、人間も含めてたくさんの生き物が関係し合って初めて浮き出てくる模様だと思います。